2012年 11月 24日
信時潔の歌曲に思う |
なぜ私の記憶の中に「海ゆかば」のメロディーがあるのかは、全く解らないが、なぜか気になるメロディーとして残っていた。それが信時潔という大正から昭和にかけて活躍した作曲家であることを知ったのは近年になってからのことである。またこの曲によって多くの若者が戦場に送られていったことも知った。このことで戦後歌唱が禁じられたと言うことも、また、彼自身が作曲活動を自粛してしまったことも知った。しかしこの旋律は不思議に魅力ある物として私から離れない。多くの日本歌曲がある中で信時の曲は一つの大きな特徴がある。それがアウフタクトであり、それが私の感性に共鳴するのかも知れない。海ゆかばの《ウ》は四拍目で始まる。
信時潔の父は教会の牧師であったため、幼い頃から音楽に触れることが出来た。19歳で東京音楽学校本科器楽部へ入学。25歳の時同校研究科作曲部に進む。33歳、ドイツ留学のため、ベルリンに向かう。ゲオルク・シューマンに就き作曲を研修。ドイツ歌曲を研究した。このことが後々彼の作曲に多大な影響を及ぼすことになった。最大の特徴は言語学的に言えば、日本語には冠詞がないが、ドイツ語には冠詞があり,曲やフレーズの多くがその冠詞や前置詞のアウフタクトから始まり、第1拍に名詞がくる。冠詞と名詞が密接に結びついていることだ。
前述の「海ゆかば」また信時の最も有名な歌曲集「沙羅」は一曲目の「丹澤」に始まり「あずまやの」「北秋の」「鴉」「行々子」「占ふと」と、全八曲のうち六曲が弱起で始まっている。これが私の心に引っかかるところだと思っている。
私が所属している「タウベンポスト」が、12月9日に第12回のコンサートを開くが、私は信時潔の「茉莉花」(マツリカ)を歌うことにしている。この「茉莉花」(マツリカ)も、これまた弱起である。日本語の抑揚を活かしたメロディーで、多くの作品を残し、日本人が好んで歌った山田耕筰の作品とは、意を異にするものであると思っている。
信時潔の父は教会の牧師であったため、幼い頃から音楽に触れることが出来た。19歳で東京音楽学校本科器楽部へ入学。25歳の時同校研究科作曲部に進む。33歳、ドイツ留学のため、ベルリンに向かう。ゲオルク・シューマンに就き作曲を研修。ドイツ歌曲を研究した。このことが後々彼の作曲に多大な影響を及ぼすことになった。最大の特徴は言語学的に言えば、日本語には冠詞がないが、ドイツ語には冠詞があり,曲やフレーズの多くがその冠詞や前置詞のアウフタクトから始まり、第1拍に名詞がくる。冠詞と名詞が密接に結びついていることだ。
前述の「海ゆかば」また信時の最も有名な歌曲集「沙羅」は一曲目の「丹澤」に始まり「あずまやの」「北秋の」「鴉」「行々子」「占ふと」と、全八曲のうち六曲が弱起で始まっている。これが私の心に引っかかるところだと思っている。
私が所属している「タウベンポスト」が、12月9日に第12回のコンサートを開くが、私は信時潔の「茉莉花」(マツリカ)を歌うことにしている。この「茉莉花」(マツリカ)も、これまた弱起である。日本語の抑揚を活かしたメロディーで、多くの作品を残し、日本人が好んで歌った山田耕筰の作品とは、意を異にするものであると思っている。
by utakichi223
| 2012-11-24 00:42
| 音楽(合唱)